期せずして3/11に見つけたささやかな感動
3/11の大災害を経て『日本人とは何か、日本ってどんな国だったのか』など、震災以来私たち日本人が忘れてしまいたくない『言葉や、しぐさや、立ち居振る舞い』…などを通じての人への思いの馳せ方・気遣いや関わりの心について色々考えさせられたこの3年間でもありました。
今日の夕飯の食材を買おうとスーパーに行きました。19時をかなり過ぎていました。
もう買い物客が殺到するピークの時間帯はだいぶ過ぎていましたからレジは閑散としていました。私が会計をしてお釣りをもらうときのほんの数秒間のエピソードです。
たまたまそのスーパーのレジスターは最新鋭の機種ではなかったからという条件も絡んでくるでしょうが、レジ担当のパートさん(60歳の私よりも明らかに年配のご婦人)が、私に361円のお釣り銭の硬貨を手渡す間際、まず自分の掌の中で硬貨を一列に実に鮮やかにさっと並べ金額を瞬時に確かめ釣銭を私に手渡しました。私はそのしぐさにひそかに感動しました。
かつては当たり前のように励行していたささやかな仕草です。
私は日本人のすばらしさ(この場合お客様への気遣いと商道徳への謙虚な態度)気品などが今もまだしっかりと脈打ち生き続いているワーカーがこの西暦2014年の日本の東京の片隅にもまだ生息していることにえらく心ときめかしました。何故ってすでに絶滅危惧種の仕草であると思っていたからです。おそらくこの人が若い時に店主から仕込まれあるいは鍛えられたもしくはこの人自身が積極的に学習し獲得した『釣銭を掌の上で確かめてから渡す』という行為です。
レジスターの高性能化・省力化・効率化がどんどん進んでいて、昨今では自動的にお釣り銭が出てきてそれをぐしゃっと鷲掴みにして手渡してくれるのがほとんどです。スピーディーだからそれはそれでいいと思います。けれども時代の向こう側にかつて連綿と受け繋がれていたこの仕草の意味を、単にうわべの形で踏襲などされなくてもいいから、せめてその心がけに学びたいと思った出来事でした。