スイッチの入った瞬間 ――保育場面短描
久々の保育ネタです。
「ポイポイ・バラバラ&ザァ~のちらかしあそび」・・・満2歳になる直前の子どもたちに共通している特徴的な『あそび』若しくは『あそび方』のひとつです。まずはあの子とこの子の鮮やかな散らかしぶりをご紹介してみましょう。今回の話題の主役たちです。
きれいに整理分類して納めている小物のおもちゃをケースごと床にざぁ~っとこぼす。おもちゃ棚の上に取り出しやすく展示配備してあるおもちゃ類をまるで自動車の運転席のワイパーの如くにだぁ~と一掃する。積み木やブロック類をぽいぽいぽいぽい投げ散らかす。投げ方の程度によっては怪我もしかねない…という時には「ダメ」ときっちり言葉と態度で伝えます。まるでタガネとハンマーで岩石をこんこん穿つ(うがつ)石彫家になったような自分を思い描きながら、なかなか伝わらないとわかっていてもそれでも伝えます。
…とまあこういった日常を展開している彼らの紹介のここまでがいわば今日の話題の『伏線』です。
まさにスイッチの入った瞬間です。それは『終わり』でもありと同時に新たな『始まり』です。
こんな瞬間に出会えた私は何という果報者でしょうか。紆余曲折を含みつつも、40年間『保育』に携わってきたものの役得とでもいえましょう。
そのささやかな感動を少しでもおすそわけしたいと思いつつ綴ってみます。
積み木あそびでの場面です。それまで「作る」ことよりも誰かが作ったものを「壊す」ことに圧倒的関心の高かったあの子とその子が今日、『自分から積み上げだす』という新たなアプローチを始め出したのです。積み木を高さ方向に重ね積み上げたり、または水平方向に横に並び添えたり、「かたまり物体」を創り出しています。その建造物は何かなどと具象の答えなど求めることは控えて、かたまり物体はかたまり物体そのものとして制作の成り行きを見守ります。
『かたちを創り出しやすいと同時にかたちを壊しやすい』というのは『積み木』の特性のひとつです。
せっかく作ったものだから壊されたら悲しい&残念という側面もありますがこの情緒的な一面だけにとらわれ過ぎずに保育を展開すると『新たなスイッチの入る瞬間』と出会えます。
作った形が「壊れちゃう」のは残念ですが、その一方、一瞬にして「全てを壊せる」のは得も言われぬ快感です。一瞬にして壊れることを「喜びごと(お祝いごと)」に意味づけしていくと「壊す快感を得るために作る」という全く別のアプローチが生まれてきます。
「壊れたらまた作り直す」「壊れたらまた作り直せる」という節理や生活感情こそが彼らに掴み取ってほしい世界観です。次への誘いかけのキーワードは単純明快「もう一回やろうか」です。モチベーションが上がれば遊びに接しつつもその様子を見守れます。
積んで積み上げてその途中で崩れてもわーい、わ~いと賛同の『拍手』を贈ります。そして、「もう一回やろうか(今度はもっと高く&大きく)」と誘います。日々もっと大きな自分になりたいと願いつつ生きている子ども達の生活感情に無理なくフィットしている誘い掛けなのです。
「壊す」よりも「創り出す」方がもっと奥の深い楽しみの世界という実感が芽生えていく端境期を垣間見た思いでした。
『描画』にしても『粘土遊び』にしても『積み木あそび』にしても子どもの活動表現に対して大人たちは、とかく「なにをかいたの?」「なにをつくったの?」と具象の答えを求めがちです。まだ具象以前の世界であったり感覚の世界であったりということもあるのですからそれ以外の問いかけ方のレパートリーも持つべきです。プランターの植物に水やりをするのとおんなじで、「なんか楽しそうだね」とか「面白いかい?」「なんかわかんないけど、すごいねぇ」とか言った言葉かけは子供の感性をおおらかにはぐくむ灌水です。
『子育て』という意図的な営みは、同時に『子ども自らの育ちに立ち会えること』でもあるのです。
その複眼的な視点をもってこの仕事を続けていくと実に感動的な場面に出会えるものでるす。