ばぶのばぶなひとときをご紹介します
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カテゴリ:ばぶさんな童話( 9 )

カイロ団長・考 その6 雨蛙たちが悲惨の中で気づいた慈しみの心


自分たちに無理難題を強いてきた殿様蛙が、王様の命令によって巨貫の石を運ばされることになりチャレンジしてみたものの石はびくとも動かず

(前略)殿様蛙はまた四遍ばかり足を踏ん張りましたが、おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲がってしまいました。雨蛙は思わずどっと笑いだしました。

~この時の雨蛙たちの心情は自分たちを過酷な労働に追いやってきた殿様蛙の悲惨な姿にさぞや溜飲が下がったことでしょう。ところがお話はこう続きます~

雨蛙は思わずどっと笑いだしました。がどういうわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。皆さん、この時の淋しいことといったら私はとても口で言えません。皆さんはお解りですか。どっと一緒に人を嘲(あざけ)り笑ってそれから俄かにしいんとなったこの時のこの淋しいことです。

~何か大切なことに気付ける瞬間です。そして雨蛙たちがこの寂莫とした荒涼感の中で気づいた情けは「相手への嘲(あざけ)りを突き抜けた慈しみの心」だったのだと私は思います。憎しみや恨みつらみの連鎖では心の平穏は訪れません。悲惨をいつくしめる心情こそが大切なのです。賢治さんはこの一点を私たちに伝えたくてこの『カイロ団長』のお話を綴ったのだと思います。次に出てくる第二の王様の命令は雨蛙たちや読者である私達に向けてのメッセージでもあります。~

(中略)「…王様の新しいご命令。全てあらゆる生き物はみんな気のいい、かあいそうなものである。けっして憎んではならん。以上。」(中略)そこで雨蛙は、みんな走り寄って、殿様蛙に水をやったり、曲がった足を治してやったり、トントン背中をたたいたりしました。

殿様蛙はホロホロ悔悟の涙をこぼして、「ああ、皆さん、私が悪かったのです。私はもうあなた方の団長でもなんでもありません。私はやっぱりただの蛙です。明日から仕立屋をやります。」雨蛙は、みんな喜んで、手をパチパチ叩きました。(後略)

~読み終えてささやかながらすがすがしさを届けてくれる『カイロ団長』のお話です。

この作品を私は今週土曜日(6/10)『第31回ひねもす朗読会』で朗読します。


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by 09donpo11 | 2017-06-08 05:46 | ばぶさんな童話 | Comments(0)

カイロ団長・考 その5 雨蛙たちが一緒に面白く仕事をやっている心のありか

ある時、三十匹の雨蛙が、一緒に面白く仕事をやっておりました。

この作品『カイロ団長』の書き出しです。さりげない文章でさりげなく綴られていますが、ともすれば私たち現代人が忘れかけているのかもしれない大切なことを作者の宮沢賢治さんは肩ひじ張らずに語っています。

『一緒に面白く仕事を・・・』とは どんな心持で仕事をやっていたのでしょうか?

造園業ですから一人の感性で作り出せる部分と、皆で力を合わせて全体の形を整える力仕事の部分とあります。三十匹の雨蛙がそれぞれ自分の脳みそを働かせて自分で考えて創造性を発揮して、さらには共同で一つの仕事をしているのです。

いい仕事をしたい、美しい公園地に仕上げたい、思いは一つです。ここが大事です。一緒に面白く仕事ができる前提を思い描いてみます。何を優先して仕事をしているのかで仕事の中味は豊かにも貧弱にもなります。「ノルマ」や「マニュアル」や「安全管理への縛り」といったことが最優先されていない労働の場から生まれ出る思いやりや気遣いがあります。

引用を続けます。

これは主に虫仲間から頼まれて、紫蘇の実や芥子の実を拾ってきて花畑をこしらえたり、形のいい石やコケを集めてきて立派なお庭を作ったりする商売でした。

こんなようにしてできた綺麗なお庭を、私どもはたびたび、あちこちで見ます。

それは畑の豆の木の下や、林の楢の木の根元や、また雨だれの石の影などに、それはそれは上手にかわい可愛らしく作ってあるのです。(中略)

朝は、黄金色のお日様の光が、トウモロコシの影法師を二千六百寸も遠くへ投げ出すころからさっぱりした空気をすぱすぱ吸って働き出し、夕方は、お日様の光が木や草を飴色にうきうきさせるまで歌ったり笑ったり叫んだりして仕事をしていました。

殊に嵐の次の日などは、あっちからもこっちからもどうか早く来てお庭を隠してしまった板を起こしてくださいとか、うちの杉苔の木が倒れましたから大急ぎで五六人来てみてくださいとか、それはそれは忙しいのでした。忙しければ忙しいほど、みんなは自分たちが立派な人になったような気がして、もう大喜びでした。

ここまで美しく雨蛙たちが「…一緒に面白く仕事をやって…」いる情景を描写されると、この先のお話の展開で殿様蛙の家来にさせられて次々と苦役を強いられていく労働の中味とのコントラストが際立ちます。


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by 09donpo11 | 2017-06-06 05:05 | ばぶさんな童話 | Comments(0)

カイロ団長・考 その4 雨蛙たちの解放と介抱と  



命令通りに実行できない場合は巡査に引き渡して首をシュポンと斬られるぞという殿様蛙の恫喝におびえ無茶なノルマの達成に途方に暮れていた雨蛙たちを解放したものは王様からの新しいご命令の公布でした。

(前略)「そら、新しいご命令だ」と、

雨蛙も殿様蛙も、急いでしゃんと立ちました。(中以略)

「・・・王様の新しいご命令。

一か条。人に物をいいつける方法。

第一、人にものを言いつけるときはその言いつけられるものの目方で自分の身体の目方を割って答えを見つける。

第二、言いつける仕事にその答えをかける。

第三、その仕事を一ぺん自分で二日間やってみる。 以上。

その通りやらないものは鳥の国へ引き渡す。」

さあ、雨蛙どもは喜んだのなんのって、

チェッコという算術のうまい蛙などは、もうすぐ暗算を始めました。(中略)

「さあ王様の命令です。引っ張ってください。」

今度は、殿様蛙は、だんだん色がさめて、飴色に透き通って、そしてぶるぶる震えてまいりました。(中略)

そこで雨蛙は声を揃えて囃してやりました。

「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨイトショ。」(中略)

殿様蛙はまた四遍ばかり足を踏ん張りましたが、

おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲がってしましました。

※そして私がこの『カイロ団長』の作品の中で一番気に入っているシーンへと続きます。宮沢賢治さんの感性の優しさがひときわ際立ちます。

雨蛙は思わずどっと笑いだしました。がどういうわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、この時の淋しいことといったら私はとても口で言えません。皆さんはお解りですか。どっと一緒に人を嘲り笑ってそれから俄かにしいんとなった時のこの淋しいことです。

ところが丁度その時、またもや碧空高く、カタツムリのメガホーンの声が響き渡りました。

「王様の新しいご命令。

全てあらゆる生き物はみんな気のいい、かあいそうなものである。

けっして憎んではならん。以上。」

雨蛙たちは殿様蛙を介抱したり看病したり労わりの限りを尽くし、殿様蛙は悔悟の涙とともにカイロ団長をやめたことを宣言します。

再び雨蛙たちは元の造園業に復帰します。


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by 09donpo11 | 2017-06-04 14:28 | ばぶさんな童話 | Comments(0)

カイロ団長・考 その3 殿様蛙の営業活動


めでたく30匹の雨蛙を自分の『家来』にすることができ、カイロ団を結成しカイロ団長になれたものの、彼には経営センスがなかったですね。

『カイロ団』って平たく言えば何屋さんだったのでしょうか?

ゼネコン?   便利屋?   それとも…造園業?

看板くらいは作ったでしょうが、カイロ団という存在を世の中に宣伝しませんから社会的認知もされていません。知名度の「ち」さえありません。

当然どこからも仕事の依頼が来ません。

カイロ団の営業品目っていったい何だったのでしょうか?彼は利益を上げてお金儲けがしたかったのでしょうか?恐らく殿様蛙自身にも明確なものがなかったから宣伝活動の発想さえなかったのです。

彼にあったものは、『カイロ団という組織の長として家来に対し専制君主としてふるまう事への執着』です。これが満たされればそれでよかったのでしょう。

(前略)「さっぱり誰も仕事を頼みに来んな。どうもこう仕事がなくちゃ、お前たちを養っておいても仕方ない。俺もとうとう飛んだことになったよ。それにつけても仕事のない時に、忙しい時の支度をしておくことが、最も必要だ。つまりその仕事の材料を、こんな時に集めて置かないといかんな。(後略)・・・」

と、この発想と展開まではなかなか良かったのですが、その後が全くもっていただけません。

仕事が来ないからといって雨蛙たちに無茶苦茶な命令を言いつけます。

・立派な木を1000本集めてこい…

・花畑へ出ていって花の種を拾ってくるんだ。一人が万粒ずつ拾って来い…

・今日は石を一人につき900貫ずつ運んで来い…

「命令」の様式美のみにとらわれた実にハチャメチャな命令の数々。

「立派な木を1000本」と言いつけられて雨蛙たちは 

(前略)一生懸命いい木を探しましたが、大体もう前々から探す位捜してしまっていたのですからいくらそこらをみんながひょいひょい駆け回っても、夕方までにたった9本しか見つかりませんでした。(後略)

ヘトヘトになり消沈している雨蛙たちのところにアリンコが通りかかり煙のようなカビの木を持っていったらと提案してくれます。

命令を下した殿様蛙は『1000本』という数に執着するばかりで『煙のようなカビの木』であろうがどんな木であろうが1000本集められてくると

(前略)すると団長は大機嫌です。「ふんふん。よし、よし。さあ、みんな舶来ウイスキーをいっぱいずつ飲んで休むんだよ。」(後略)

いかに自分の営業ビジョンが欠落していたかがわかります。


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by 09donpo11 | 2017-06-02 06:40 | ばぶさんな童話 | Comments(0)

カイロ団長・考 その2 殿様蛙の居酒屋

どこで仕入れてきたのか石油缶(一斗缶/18リットル)いっぱいのウイスキー、どれくらいの量でいっぱいいくらで売るのか…いろいろ試みてたどり着いた結果は粟粒をくりぬいたコップにいっぱい注いで価格は二厘半(1円=100銭、1銭=10厘)。

私はリーズナブルな価格設定だったと思います。二厘半というのは一銭の四分の一です。

「もう半分(飲みたい)」という酒飲みの心理としては一銭の四分の一という価格はお代わりを注文したくなるお値段です。雨蛙たちの財布には50銭や1円の金はあるだろう。

粟粒をくりぬいたコップに、表面張力を生かしてなみなみと惜しげもなく注いで回ったことでしょう。

くいっと一杯ひっかけて、その勢いと適度な酔い加減で「おかわり」「おかわり」の連呼が店内いっぱいに響き渡ります。

お客の302杯の注文も342杯のお代わりもきっちりオーダーに答えた殿様蛙、てんてこまいの繁盛を極めました。

結構まめで律儀な店主です。

昨今の『ぼったくりバー』のような安易さはみじんもありません。

何しろ彼には夢があります。

「カイロ団」を結成して自分はその盟主になるのだ。

カイロ団長の誕生まであと一息。

いや、二息半、それ位の努力、なんで惜しんでいられましょうや。

雨蛙たちにお金を払いきれないほど飲ませればカイロ団の家来の獲得、しかも一気に30人の家来の誕生です。「おかわり」「へいへい、ただいまうかがいます」


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by 09donpo11 | 2017-06-01 07:15 | ばぶさんな童話 | Comments(0)

カイロ団長・考 その1 殿様蛙の仕立屋業  

今回から宮沢賢治・作「カイロ団長」についてあれこれと綴ってみたいと思います。





カイロ団長・考 その1 殿様蛙の仕立屋業

「長」にあこがれつつ一旦は成れたのですが本質的なところで「長」になれなかった男蛙のはなしです。

このお話しは30匹の雨蛙Vs一匹の殿様蛙が主な登場人物(生き物)です。

それに加えてアリンコと、殿様蛙の友達の殿様蛙と、「王様」の伝令役のカタツムリが登場します。

例によってばぶ風の身勝手な解釈をふんだんに混ぜ込みながらお話を紹介していきます。

30匹の雨蛙たちはオリジナリティーをふんだんに発揮した造園業チームを営んでいました。

◆「 朝は、黄金色のお日様の光が、トウモロコシの影法師を二千六百寸も遠くへ投げ出す頃からさっぱりした空気をすぱすぱ吸って働き出し、夕方は、お日様の光が木や草の緑を飴色にうきうきさせるまで歌ったり笑ったり叫んだりして仕事をしました。 」

なんてったって気のいい雨蛙たちです。

実に陽気に朗らかに楽しく仕事を楽しんでいるのです。

賢治さんが理想とする「労働」の原型ですね。

殿様蛙はその様子を見て知っていました。

殿様蛙はそれまで仕立屋業を営んでいたようです。

ある日仕立屋さんのところに鎖帷子(くさりかたびら)の注文が来ます。

くさりかたびら製作の注文は彼にとって今回が初めての仕事だったのでしょう。

製作は困難を極めましたが、彼は実にみごとにくさりかたびらを作り上げます。

その仕上がりぶりに我ながらほれぼれするほどです。達成感と充足感の美酒に酔いしれながらうっとりと自分の仕上げた仕事を眺めます。その瞳の輝きは澄んでとても静かです。

そして仕立屋としての自分の力量に改めて驚き、自信を深め、大きな満足を覚えます。 

その注文品の納品をめでたく済ますと、今度は自分自身の体形にぴったりのくさりかたびらをどうしても作ってみたくなりました。 

前回の苦労と苦心の経験智が加わってさらに製作の過程でさらなる工夫と発案がまるで降臨してきたかの如く次々沸き起こり手順は順調で決して手戻りすることなく見事に結実します。非の打ちどころのないほどに仕上がったくさりかたびらです。

さっそく着込んで姿見を覗き込みます。

正面から横から、さらには身体を曲げたり伸ばしたりひねったりしてありとあらゆる角度からの着心地を確かめ深い満足を得ました。

こんなに素敵なくさりかたびらです。

このくさりかたびらの威力を存分に発揮した自分になりたい…そう思いつつふと書棚に目をやると彼の愛読書の背表紙に目が留まりました。

「専制君主入門」そして彼の脳裏に明確な映像がスパークし、これまでいちども思いつかなかった一つのキーワードが湧いて出ました。「カイロ団とカイロ団長」

カイロ団長になりたいと彼は強く念じ、そしてその為の計画と準備に取り掛かりました。

まずカイロ団にふさわしい団員を確保することだ。誰か適当な連中はいないか?

いるいる、あいつらだ。30匹の雨蛙。


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by 09donpo11 | 2017-05-31 07:29 | ばぶさんな童話 | Comments(0)

ばぶさんな童話 トマトと菜っ切り包丁と

トマトは菜っきり包丁の恋人

トマトが大好きです。おいしいです。
毎回ときめきながら食べます。おいしいからです。
トマトはお塩でも、お醤油でも、ソースでも、もちろんマヨネーズでもおいしいですが、
最近私が気づいたのは、『トマトは何もつけないでそのままで十分味わえる楽しい味』だということです。
トマトは品種改良が進んで昔と比べるとずいぶんおいしくなりました。が、さらに美味しさを増しつつある進化形の野菜です。
かつては熊本県の八代産のトマトにこだわりをもっていました。なぜならダントツにおいしいからです。ですが、最近はどこ産でもかなり八代産に近い味のものと出会えることも増えました。あとは自分自身の選定眼のセンス(直観)だろうと思っています。

できればなるたけ完熟に近いものを買い求めます。
一個単位のばら売りの時なら全く躊躇しませんが、
何個かで1パックという売られ方をしているときには結構悩みます。
一度の食事で3個も4個もは食べられません。せいぜい1~2個です。
トマトは冷蔵室の中でも「追熟」します。
ですから全部を『いい熟し加減の内に食べきる』このへんの食のスケジュールとの兼ね合いで悩みます。過ぎたるは及ばざるがごとしですもの。トマトもまた然り。熟しすぎたトマトは危うく儚いです。

熟したトマトをまな板の上で食べやすい大きさに切り分けます。
包丁がよく切れないとあのおいしい果汁が無駄に流れ出てしまいます。
くちびるをとんがらかして、まな板の上に流れ出たトマトの果汁をバキュームするのは、
ちょいと品がないので極力しません。

包丁がスパッと切れて、トマトさんが『あら私いま切られたの?』と躊躇して果汁を流す暇を与えない様な切れ加減がベストです。
果汁をたらさずに切り分けられた時私は得意気にほくそえみます。
そこで菜っきり包丁です。『錆びないけれども、切れ味がいまいちなステンレスの包丁』よりは、『うっかり手入れが行き届かないとすぐに錆びついてしまう鉄製の包丁』のほうが私は好きです。良く切れるからです。切れ味が全然違います。
鉄製の包丁はトマトを切ることによって『現時点での切れ味具合』を如実に教えてくれます。
つまりトマトが菜っきり包丁の『切れ味』のセンサーになってくれるのです。
切れ味が落ちたなと感じたら包丁を砥石で研ぎます。面倒ではありません、だって『良い切れ味を再生』している行為なのですから砥石で研いでいる時にもワクワク感があるからです。

包丁は砥石の上で呟きます『ああ、あの愛しいトマトさんと又出会える。待っててね、今研ぎあがるからさ』私はいそいそと包丁を研ぎます。

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by 09donpo11 | 2014-07-25 00:04 | ばぶさんな童話 | Comments(0)

私のオタマジャクシは世界をめぐる

自分の知らない音楽世界への窓口

私にとって、日本民謡だけでなく、世界中の民謡や民族音楽、伝承音楽には理屈じゃなくて、聞いていて血が騒ぐというかワクワクときめくものがあるのです。
そこには自分の全く知らない文化や音楽や人々の生活に触れられたり、思いを馳せたりできる喜びや感動があるからです。不思議としか思えないような音楽、例えば、モンゴルのホーミーだとか、オーストラリアのアボリジニーのディジュルディーだとかイヌイットやアイヌのムックリだとか…、本当に沢山の不思議な音楽があります。
私は「人間」が好きなのです。『人間観察』は面白いです。

何語を話し、何語で思考しているかによってそこからいざなわれてくる音楽やリズム形態も様々に変わってきます。日本語では母音が5種類しかありませんが、その国によってはもっと沢山だったり逆に少なかったりだとかです。
21世紀に入ってグローバル化が進みあらかたは『英語』なり「○○語訛りの英語」だったりに触れる機会が増えつつありまが、私は時として英語以外の言語で歌われている音楽を無性に聴きたくなります。スペイン語やドイツ語は勿論のことスエーデン語やノルウェー語やオランダ語だったり、ギリシャ語やハワイ語であったりマケドニア語であったりウイグル語やペルシャ語やタガログ語であったり…。子守唄などは特にその国のもともとの歌詩で聴いてみたくなります。言語は違っても子供をあやし穏やかな眠りに誘うその心情には共通する心持がるからです。

資本主義の経済原則からはみ出した音楽の世界で『音と戯れる喜び』の醍醐味をたまたま見出してしまった私は20代の中頃から30代にかけて中南米のフォルクローレをむさぼるように聴いて楽しんでいました。
そして今、50代後半から60代に入って『ドイツ語圏のフォルクローレ(?)』を楽しんでいます。その途中の20年間では、スラブ語圏並びに東欧諸国の民族音楽や民謡に強烈にはまっていました。
音楽の面での情報との出会いがあるかないかは大きな要素で、まったくたまたまではあるのですが、例えば、ハワイアンだとか、イスラムやアラブ&インド文化方面の音楽と出会える機会というものは実に稀でしたが、もしも出会いがあればそちらの方にもそうとうに傾斜しただろうと思います。

YouTubeはその存在の是非をめぐって際立って賛否両論に溢れている世界であろうと思いますが、私にとっては大変ありがたい『感動と発見への窓口』なのです。

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by 09donpo11 | 2014-07-24 00:00 | ばぶさんな童話 | Comments(0)

ばぶさんな童話 「ものづくりの妖精さんたち」


『ものづくりの妖精さんたち』
  
  まず妖精さんのこと

妖精さんって何でしょう?

最初に断わっておきますが、私の語る妖精さんは魔法使いではありません。
悪戯好きの妖精さんたちとも一寸ばかり違う妖精さんです。

この世の生きとし生けるものすべての人にそれぞれ、
その人の妖精さんがいるのですよ。
しかもいろいろな妖精さんが実に沢山いるのですよ。

私の場合で言えば、『ものづくりの妖精さん』『ことばの妖精さん』
『おはなしの妖精さん』『音楽の妖精さん』・・・
その数は数えきれませんがとりあえず、
満点の空いっぱいの妖精さんがいるとお考えください。

私にとって私の妖精さんは、みんな私を煽ってくれる御贔屓さんです。

もしもあなたがシンガーソングライターでどこかのホールでライブをしたとします。
その時ホールいっぱいに詰めかけた観客(ファン)のすべてが妖精さんです。
その盛大な拍手を浴びてあなたは歌います。
いつも以上の実力を発揮しているシンガーがあなたです。

イメージできましたか?それでは別の角度からお話を続けましょう。


  私と妖精さんたち

妖精さんたちを見たことはありません。
でも、妖精さんたちの気配を感じることはしばしばです。
気がつくとすぐ傍に来ているというのがほとんどです。

そして、また気がつくと
もうどこかに出かけた後のようで、あたりに気配がありません。
妖精さんたちは気まぐれなのでしょう。
それでいいのだと思います。
そのようにして大昔から息づいてきたのだろうと思います。
きっとこの先もずうっとそのように息づいていくことでしょう。

妖精さんたちは
「次はいついつ何時に来るね」
なんて約束もしないうちにいなくなっています。

妖精さんたちに話しかけても返事はしてもらえません。
ですから私は返事を期待したり強要したりせずに話しかけます。

私は妖精さんたちにひたすら話しかけ
妖精さんはひたすら話を聞いてくれます。

拒否なんてしません。すべて聞きとってくれます。
妖精さんは返事をしてくれませんが、その代わり拍手してくれます。

ひそやかな拍手の時もあれば、
盛大な熱烈な大拍手の時もあります。
その拍手を浴びると私の中の潜在能力の華が開花します。
自分で閃いて開花するのか、
妖精さんに閃かせてもらっているのかどっちだかは解りません。 

そしてその閃きを得た時、妖精さんたちの拍手は
その体内にまだまだ沢山の潜在能力の華の蕾が
揺らぎながら眠っていることを実感させてくれます。

  そしてものづくりの妖精さんたち

さまざまな妖精さんたちが居る中で
私の所にいちばん最初に来てくれていたのが
ものづくりの妖精さんたちです。

思い起こせばその自覚もないままに30年以上も前から共に暮らしてきてました。
それなのにものづくりを始めたあの頃は
ものづくりの妖精さんたちがいることさえも思い及びませんでした。
自分自身に対して夢中だったからです。

そして何年か経った頃
ものづくりの妖精さんたちの拍手が心に伝わってくるようになると、
ふと立ち止まっては、思いをさまざまに馳せてみました。

「あれ、この感覚はなんだろう?(けれども、なんだかわからない)」
「もしかして、これはモノづくりの妖精さん?」って思ったりもしましたが、
それでも、ものづくりの妖精さんは私の知らないどこか遠くにいて、
そこから気紛れに私のところにやって来るものと解釈し
そのようにすっかり思い込んでいたのです。

ところが、どうやらそれは違っていました。
ものづくりの妖精さんは私のすぐ傍に本当にいるのです。
たとえば睫毛の先くらい、近過ぎるくらい近い処に妖精さんたちはいるのですが、
あまりに近すぎてかえって見ることも感じ取れることもできません。

還暦過ぎて気がついたのですが、
ものづくりの妖精さんたちは私の外側にいるのではなくて
むしろ私の内側で、あらかたは眠っているのです。

たまにはうたた寝していることもありそうですが
大抵は爆睡していることのほうが圧倒的に多そうです。
いつ目覚めてくれるのかは見当もつきません。

けれどもいろいろな妖精さんたちと
一緒の生活を愉しむ甘美な習慣がすっかり身に就いたおかげで
最近では妖精さんたちの覚醒や、到来の気配を感じ取れやすくなって、
時には到来の予感めいたものさえも感じます。


実に幸せな、実にありがたいことです。



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by 09donpo11 | 2014-07-09 00:01 | ばぶさんな童話 | Comments(2)