ばぶのばぶなひとときをご紹介します
by どんぽのばぶ
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カテゴリ
全体
アップしそびれていた日記より
3/11を忘れない
ばぶさんのお話しおじさん
ものづくりのあれこれ
華麗なる加齢ライフ
人生を共にしている生活道具
日々の暮らしの中で
保育ネタ
ばぶさん童話
ばぶさん童心話
ばぶさんポエム
災害を忘れぬために
ばぶさんな童話
ばぶさんの朗読タイム
朗読&朗読よもやま話
クッキングばぶさん
イソップイばぶさん
ばぶ式ガーデニング
震災支援活動
感動のおすそわけ
健康と病気
工房日誌
子育て・子の育ち・あそび
未分類
以前の記事
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
フォロー中のブログ
生きる詩
梟通信~ホンの戯言
遺言
花と葉っぱ
オアシスの庭/ボヤントメ...
雑画帳Ⅱ
* 雫 * 
ゆるりんのポレポレ日記
ゆっくり生きる
人生って つむじ風、いつ...
グルグルつばめ食堂
Harvest Moon
秋田おじゃろぐ 
富士山大好き~写真は最高!
山歩路通信―さんぽみちつ...
おすすめ海外情報 ~ta...
長女Yのつれづれ記
気ままな日々綴り
こどものにわ
Night Flight...
墨のかほり
シヴィライ村便り~ラオス...
春のよき日に vol.2
momopororonの...
そらみて
最新のコメント
お勤め近くになりよかった..
by ruikira at 09:17
同感です。
by ruikira at 09:12
ご苦労様でした。 ばぶ..
by 坂田宣子 at 01:25
ご無事でよかったです。
by paje1912 at 23:45
この場所が朗読愛好者の交..
by 09donpo11 at 13:13
猫に哲学を学びました。 ..
by 09donpo11 at 11:06
kyao67さん コメ..
by 09donpo11 at 02:55
momopurinnさん..
by 09donpo11 at 23:16
もう一度保育の現場で、1..
by kyao67 at 21:07
娘が赤ちゃんの頃 はい..
by momopororon at 11:02
若いころの保育士だった私..
by 09donpo11 at 23:21
子どもには泣く権利も、怒..
by 09donpo11 at 05:40
手遊び♪一緒に出来るくら..
by kyao67 at 13:33
皆それぞれがある程度の力..
by 09donpo11 at 23:39
こんにちは。 スペース..
by つねさん at 10:08
> 鬼藤千春の小説・短歌..
by 09donpo11 at 01:58
はじめまして!あるブログ..
by 鬼藤千春の小説・短歌 at 10:14
今から23年も前の話です..
by 09donpo11 at 23:29
嫌いなもの、嫌いなことが..
by 09donpo11 at 20:38
こんばんは。 私も年々..
by souichinoyume at 00:10
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
ぼちぼち生きましょう
at 2017-11-16 06:01
無理の理 & 有理の理
at 2017-11-15 07:42
無理の理
at 2017-11-13 21:02
退院して22日が経ちました。..
at 2017-11-12 08:01
第18回 朗読会 ばぶの会の..
at 2017-10-31 19:33
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
創作小説・詩
日々の出来事
画像一覧

<   2014年 09月 ( 5 )   > この月の画像一覧

「あしもとお気をつけて」

「あしもとお気をつけて」

別れ際に聞いた言葉です。

私のボキャブラリーボックスの中に全く登録されてない挨拶の言葉でした。

故にとても新鮮でした。

おっとっと、もう日付変更線を越えていますので昨夜のことになります。

昨夜です。私鉄は時間通り定刻に駅に着きましたが、乗り合わせた時間帯が時間でしたからあと10分もすれば23時にさしかかろうかという頃合いでした。

無人の改札口で『ピッ』とパスモ・カードをタッチして踏切を渡りバス通り側へと移動しました。私は傘を持っていましたが、駅を降りた人の群れは大半の人が傘を持ち合わせていませんでした。

一人傘を開いた人がありましたので私もジャンプ傘を開こうとしてふと夜空を見上げ傘を開くのを止めました。雨はぽつん…ぽつん…という間延びした落ち方でしたから、ちょっとこらえて歩けばそれなりに傘をささずとも凌げるかなという按配でした。 

もう、この時間です。私の帰る方面へのバスなんてとっくに終バスが出た後と思い込み、バスの発着所をショートカットで素通りしバス通り沿いに帰路の歩道を歩きました。

34分歩いて、私のわきを通過していくバスの表示を見るとなんと「あれれ」でした。

携帯電話を取り出して時間を確認すると2251分という表示。

「なんだこの時間ってまだ終バス前だったのか」と思いつつ後悔しても覆水盆に返らず、ダッシュして最初のバス停まで走ろうにもまだまだバス停は先の方。とても走るバスを追い抜くなんてできません。電車の中で『まっ、いいか、歩いて帰る』とすでに心は決めていたのだからと自分を納得させつつ帰路を急いだ早歩き。 

駅から離れるにつけ家路に向かう人影はだんだんと減っていき10分くらい経過した頃には私と傘を持っていないその彼と二人になった歩道。雨は時折「雨降っていますよ」と自覚させるような降り方を断続しますので、私は傘を開いて歩き続け彼はポツンポツンの小雨の中を濡れながら歩いていました。

彼の方が私よりも少し前を歩いていました。

歩くピッチは私も彼もほぼ同じとはいえ、こちらは手荷物なしの手ぶらです。

彼は肩に何とかバックを下げその分だけやや遅め。やがてほぼ横並びとなった頃、パラパラ雨が少し密になり始めました。雨脚が増したのに傘を持たずに濡れて歩いている彼の横をシカトしてすり抜けていくのもこちらの気が咎めるしなぁ・・・っと思い惑いつつ「(中に)入りますか?」と傘を彼の方に差し出しました。

照れ笑いをして言葉にならない言葉をつぶやきつつも拒否はせずに傘に入りました。傘のサイズは85センチのものでしたけれどもお互い遠慮しがちの相合傘ですから、実際のところは二人とも片方の肩には雨が降りかかっていました。

黙って歩くのもなんだしと何気ない会話で間をつなぎます。

「降ってきましたね」

「家近いから濡れても大丈夫かと…」

「お家はお近くなんですか?

「そこのバー○アンの裏っ手のアパートなんですよ」

成程あと12分くらい歩けばそのでファミレスの店の前です。駅から歩いて15分くらいの道のりです。

「私はこのあと20分以上歩きます」

「それじゃあ、ここで」と彼は傘から出ました。

私が「お休みなさい」と声をかけると

彼がさりげなくいった別れ際の言葉です。傘に入った感謝の会釈とともに彼が言いました。

「あしもとおきをつけて」

私はその挨拶の言葉を聴いてちょっぴり新鮮な感動をしました。

たまたま私がそれまで持ち合わせていなかった挨拶でした。

薄暗い夜道の雨の歩道の帰路です。
これほど端的で的を射た言葉とそこに込められた思いやりと感謝が言霊となって胸に届きました。。年の頃は40代前半くらいの彼でしたが、『品位(品格)』を感じさせられました。


[PR]
by 09donpo11 | 2014-09-25 01:26 | 日々の暮らしの中で | Comments(3)

本当はびしっと決めたいのに  ・・・ああ、ありとあらゆるどじ・・・

本当はびしっと決めたいのに、用意周到にドジをします。

私は昨年還暦を迎えたのですが、一昨年くらい前から『つまづく・コケる・こぼす・おとす・とりそこなう・手順が逆etc・・・』などのドジを踏むようになり、なんでこんなタイミングでこんなことを…っていうドジが増えました。
これも加齢の一つの象徴なのかもしれませんね。

そのドジさ加減に思わず我ながら口を結んで鼻で笑っちゃいます。

だって、『ドンマイ』って笑うしかないじゃありませんか。

笑うって自分への励ましのエールでもあるのです。

実に『ありとあらゆるドジ』をするようになったもんだとそのドジぶりを面白がったり楽しんだりするように心がけています。
「しょーがねーなぁ、ばぶちゃん」って自分に言います。

さて、みなさまここで紹介する「ありとあらゆるどじ」・・・おお、なんと包容力のある大らかな概念でしょう。

ABにしてCにするという一連の行為のプロセスの中に一体いくつの『ありとあらゆる』が内包されているのでしょう…。

例えばお豆腐のパックのフィルムの隅に切り込みを入れて、パックの中の水分を切り、フィルムの端からこれをバイアス方向に開けて小鉢にお豆腐を移す時に、フィルムがきれいに破けないとかパックを瞬間ひっくり返して小鉢に移す時にお豆腐が器からはみ出すとかいろんなドジが潜んでいます。ワザとドジをしているわけではありません。むしろ用意周到にドジを踏むのですから、情けないと思うよりも「よっ、新型ドジ参上!!」なんて大向こうから声だってかけちゃいます。

『ありとあらゆるドジ』をすべて制覇できるには一体この先あと何年かかるでしょう。長生きはそのためにあるのかもしれません。

これらのドジの誘因と応援団の『とっかかり』に、老眼による視力の低下と、思い込み違い、勘違いに、『うっかり』と『ちゃっかり』が加わり、放送席の実況解説には『しっかり』と『がっかり』が陣取ります。見えづらくなると、よく見えませんから、よく見なくなり、さらに注意力散漫が二人三脚で見切り発車をすることになります。どじったってなにも、『一歩進んで二歩下がったのではなく』て、たまたま『三歩進んで二歩ないし二歩半下がっただけのこと』なのです。 

横着をしているつもりはないのですが、よくよく考えてみれば結果的には横着に限りなく近いということをしていたなんてこともあります。焦るわけではないのに待ちきれなくなることもあり、「あれ、気が短くなっていない?」と自分に問いかけます。

経験智は言い訳の為のものではありませんから、何がまずかったのかなと反省材料にしたり、次に向けての戒めにしたりします。


[PR]
by 09donpo11 | 2014-09-18 06:52 | 日々の暮らしの中で | Comments(0)

今感じている「幸いなもの」・・・近況報告に替えて

いま私は辛さや痛みで苦しいです。
24年間付き合ってきた持病に対して今年24年目にして初めて出合った治療法と
お薬の効果で様々な項目の症状のデータが少しずつ順調に『正常値』に変化しつつある事実は快適です。
けれども、その一方その為に生じてくる月々に支払うべき高額な医療費は経済的に大変辛いです。
これに加えて、身体的には左鼠径部ヘルニアの断続的な痛み(かつて右鼠径ヘルニアの手術を受けています)。

私はマゾヒストではありませんが、可笑しなものでこの苦しさに『幸いなもの』を感じています。 

「ああ、これだな。いつかラジオで宮本亜門さんが言っていた『人生は途中で何度も(人生から)試される』っていうのは。」私は今人生の大いなるものから試されているのだ。だから、この苦しさに対して「言い訳をしなければよい」のだ。妙に肝が据わった思いに『幸いなもの』を感じます。

私はものづくりです。
木のおもちゃを創作して歩み続けている23年間です。
『ものづくり』は私にとっての「ブレない軸足」の一本なんだという確信がありこれに対して『幸いなもの』を感じます。

しかしながらロボットのような精度で加工しきれるような職人的技量はもともと持ち合わせていませんので私の場合、加工するときに『誤差』が生じます。

天然素材を相手にしますから同じ材木であってもその丸太の部位や産地によって切削する材料の堅さ柔らかさ粘り加減、もろさ加減に幅があります。
同じ製品を創り出そうとしても、当然ながらその加工の過程で生ずる誤差には振れ幅が生じます。
ほとんど場合結果オーライの世界なのですが、それでも加工してみないとその『誤差の程度が自分の感性の許容範囲の内側なのか外側なのか』果たしてどっちに収まるかわかりません。

どん詰まりの製作の過程で、あろうことか納得のいかない誤差を含んだ加工を体験したりすると、気持ちはへこみかけます。

極めて稀にしか・・・ですが自分で納得のいく精度の高い加工で仕上げられるときと、これ以上の誤差は商品にできないという分かれ目(閾値)がおのずとあるからです。

『江戸の敵を長崎で』という言葉がありますね、木工の加工でへこんだ気持ちは木工の分野でほかの作品の製作でリカバーしつつ、根本的は問題解決の糸口(切り口)を探すしかありません。手間暇かかる世界では手間暇をかけるしかないのです。そんなわけで今手間暇かけつつ希少なオーダーと向かい合っています。


[PR]
by 09donpo11 | 2014-09-16 22:17 | 日々の暮らしの中で | Comments(2)

猫ふんじゃった・・・元い・・・猫の糞ふんじゃったの想いで

できるだけ下ネタ話は控えようと心していますが、今回はその禁を破ります。

あれは数年前の9月です。間違いないです。
誕生日を迎えて半月くらい経った頃でしたでしょうか。

糞害に憤慨した経験があります。
なにしろ私の工房の周辺には外猫が20匹ちかくいますから。
多い時は30匹近い数がカウントできる程でした。
(当時は猫は12~14匹くらいの数でした。)

ある夜のこと、進入路の暗い坂道を歩いている時『むんにゅ』っとそいつを踏みました。
ひり落として数日経っていたもののようで外側は半乾きで中核は半生みたいなもののようでした。踏んづけたその感触で一体何を踏んづけたのかすぐ理解しました。
道の真ん中です。糞なんて言うものは道端に遠慮がちにするものだという先入観がありましたから、もろに踏みつけてしまった時には『猫の悪意』さえ感じました。
「♪ふんでくやしいはないちもんめ♪」とそいつの周りを土やコジャリと一緒に蹴飛ばしました。踏んだり蹴ったりっていうのはここから生まれたのでもあるまいにと洒落の独り言を言いながら悔しさを紛らわした夜でした。

そして踏んだことそのものも忘れて一週間以上後のこと。

その日は朝から雨が降っていました。
雨でぬれた道を少し歩き駐車場に止めておいた愛車に乗ってしばらく運転していましたら、どうにも車内に糞のにおいが漂います。
最初気のせいかと思ってそのまま暫く運転してたのですが、間違いなく糞のにおいです。
ブレーキペダルを踏んで理解しました。
『あ、あの時のナニだ。・・・フンフンなるほど。・・・靴底にへばりついて乾いていたナニが今日の雨で水分を吸収して復活したんだ。』
どうやら一度『完全に乾いた糞でも水分を吸収すると臭いの鮮度が戻る』ようです。

事の次第を理解してあらためて憤慨しました。


[PR]
by 09donpo11 | 2014-09-15 14:14 | 日々の暮らしの中で | Comments(2)

母と過ごした今年の誕生日

誕生日

私が48歳になった時、世間ではは私の誕生日のことを「テロの日」などと改名しました。
私の誕生日と半年経過した日に東日本大震災(2011/3/11)が起きました。


母と過ごした今年の誕生日

信濃町のK大学病院でCTの撮影を受けました。
その帰り京橋で彫刻家の友人が2年ぶりの個展を開いているので見てきました。
その足で東京駅から東海道線に乗り実家のある平塚に往きました。
母親に『生んでくれてありがとう』というためです。
ベッドでうたた寝していた母はぽわ~っと目覚め「なんだい今日はどうしたんだい?」「やあ今日は僕の誕生日だから顔を見に来た」と声をかけるとしっかり目覚め、起き抜けに息子から手を握られて『お母さん産んでくれてありがとう』と聴かされて、ちょっと照れながらも「どういたしまして」と答えました。
その後久しぶりに会った母としばし談笑しました。

「お産は軽かったよ」兄の時も妹の時もお産は軽かったとのことでした。
家系的にお産の軽い血筋のようです。
母の話はやがて私が小学校1年生の時の担任の先生が家庭訪問に来られた時のことを話し出しました。
それこそ400字詰め原稿用紙一枚くらいの内容の話なのですが6分近くかかって話します。
話ししていて人の名前を思い出そうとしたり経緯を思い出そうとしたりして、しばしばエンドレスのように話の始まりに戻るからです。
ボケているというのではないのですが、言葉を探しながら話そうとするたびに枕詞のように話の始まりへと戻るのです。
そのたびに私は、まるで今初めてその話の糸口を聴いているかのように「ふんふんそれで…」と聴き続けました。
話題は私より2歳年上の兄の思い出が混ざり込みまた本題に戻り・・・話し終えると「話が長くなってスイマセン」と笑いながら締めくくりました。
私は内心苦笑をこらえながらも「ふう~~ん、そんなことがあったんだぁ」と応じました。

母は来年米寿を迎えます。実家へは大概とんぼ返りで忙しなく帰省しては即帰るというパターンが多かったのでこの日は一泊しました。その日の夜は母の部屋で一緒に寝ました。
母は毎晩NHKの「ラジオ深夜便」の3時台の昭和歌謡を聴くことを何よりも楽しみにしています。
ポケットラジオはベッドの枕元に置かれ就寝時から朝までつけっぱなしにしています。

この部屋の電波の受信状況はポケットラジオを東西方向に向けておくとクリアーな音を受信できるのですが、彼女は今までの習慣で南北方向に向けて、枕元に起きます。ラジオの放送音には「シャーシャー」と微かですが雨降り音のような雑音が混入しています。アナログのポケットラジオです。ダイヤル調整の仕方によってはかなり繊細なところまで絞り込めるのですが、年寄りの指先はピンポイントのベストチューンの周辺を彷徨します。

夜中の2時ころ私がトイレに起き再び布団に入り、暫くうつらうつらしていると母はやおら起きてきて私の掛布団を調整してくれていました。「大丈夫だよ(だからもう寝てくださいの意)」と声がけしましたが、気の済むようにやっていました。それからまたうつらうつらしている私の耳にラジオの音量が上がったり下がったり聞こえてきます。
音量が大きすぎて息子の安眠の邪魔になってやしないかとおそらく気遣っているのでしょうが、思い通りの音量が定まらないものなのかボリュームは小さくなったかと思うとまた大きく戻ったりまた小さくなって、(うん、このくらいの音量が私にはちょうどいいぞ)と内心喜んでいますと、再び音量が上がったりを繰り返しています。まあ気が済むまでやってもらいましょうと思っているうちに私は爆睡しました。


[PR]
by 09donpo11 | 2014-09-13 08:17 | 日々の暮らしの中で | Comments(6)