アップしそびれた日記 『還暦』に入って加齢を楽しむ心持のスタートラインを見つけました。(2014・3・18:44’)
① 劣化と熟成
最近は殊にお友達との手紙の文面に『(お互い)健康に留意してご自愛ください』などといった類の言葉を添えたやり取りをします。さて、『健康に留意しての自愛』って具体的にどんなことに努めたものだろうかと思いを巡らして、この半年の暮らしぶりがどうだったかちょっと整理してみます。どうやら加齢とどう付き合っていくかという精神の置き所、立ち位置のありように尽きそうです。
50代の時よりも体力や疲労の回復力や精神力の集中時間の劣化をじわじわと体感しています。『仕方のないこと』だから嘆かない、ため息をつかない、体はうそをつかないのだから正直にその事実と向かい合おう、なるべく言い訳を用意するのを止そうと腹をくくることにしました。どうやらここにスタートラインを設定するのがいい塩梅のようです。
60代に突入して半年近くになります。今までなんでもなかったような場面やタイミングで実にありとあらゆるドジをするのでございます。自らのそのドジさ加減を面白がって笑ってしまいます。ありとあらゆるドジですからまだまだ未体験ゾーンが膨大に待っているということです。わくわくします。時には用意周到に慎重にドジることもあり、こうなるともうその滑稽さを笑うしかないのでございます。備えあっても憂い有りなのでございます。たいていは確認が甘かったり確認を忘れたりセッティングした『つもり』が的を射ていなかったというケースが圧倒的に多いです。それと、何でもないようなところでよろけたり躓いたりします。また、ささやかな漏えい事件(事態)も何度かありました。締まり具合が緩くなっているのでしょうか、排尿の段取り直前に微妙にちびったり、放屁のつもりが微妙に固形物も同時にちょちょびったり、こんなトホホな緊急事態発生の経験を何度かするとトイレへの道中では経験智から呪文を唱えるようになります。「フンニョウブクロ、フンニョウブクロ、オマエノ身体はフンニョウブクロ」「出口の戸締り厳重に」…とある種の緊張感をわが身に喚起しつつ用を足しに行くのです。以来そそうは今のところ発生件数0になりました。
加齢は「劣化」でもあるのですが、同時に「熟成」でもあります。熟成という変化は熟成を止めると腐敗になります。熟成には志が大事だと思います。
熟成は手間暇のかかるものですから焦らずじっくり一つ一つを丁寧に暮らしていきたいと思います。
『焦らず』という態度が結果的に功を奏するという場面に遭遇したことがあります。かれこれ3年くらい前ですから私が57歳ころでした。
ある日あるコンビニストアーで見た光景ですが、あれは多分お昼時の直前といったタイミングだったのだろうと思います。店内で買い物をしたお客さんがレジの前に集中しました。レジは2台あり、一つは若い女性パート店員(多分30歳前後位)のレジで、もう一つは年配の女性パート店員(多分60歳ちょいすぎ位)です。買い物が済んで会計をするために二つのレジの前に客が列をなしました。若い店員は笑顔を絶やさず、きびきびと対応し体のキレも実にシャープです。年配の店員の方は極めてマイペースで実に淡々とレジをこなしています。お客はさっさとお会計を済ましたい想いからなのでしょうか若い店員のレジの側の列がだんだん長くなりました。若い店員は待たせているお客の列が膨らんできていることに気が付くとやや焦りだしたのか、レジのキーボードのタイピングにミスタッチをして打ち直したりや、レジ袋に入れる時に動作がつっかえたりしてきました。一方年配の店員の方は列が短くなっても長くなってきても一向にマイペースのテンポが崩れません。
結果的に年配店員のレジの会計のほうがスムーズに流れていると気づいたお客のうちの何人かは途中から列を並び替えました。二つのレジのお客の列の会計はほぼ同時に終了しました。その時のことを時々思い出します。この時ある種の熟成を見たような気がしました。